毎日ムック 病院最前線2022の専門医アンケート「医者の体験談」より
役に立つ情報や伝えたいことのうち「一番印象に残った患者さん」について、ご回答いただいた一部をご紹介いたします。
※ご回答いただいた原文のまま掲載しております。



「医者の知恵袋」   「医者のホンネ」   ▶「医者の体験談」 


約20年前、台湾からの不法在留者(50代女性)の急性大動脈解離を緊急手術した。 その後、成田の入国管理局に3か月以上も拘留(?)されていたが、無事台湾へ帰国できたと聞いた。オペはいつもどおりのものでしたが、警察署、外務省、大使館等への交渉など非常に苦労したが、救命することができ、時間はかかったが、祖国へかえってもらうことができて、嬉しい患者さんでした。

宮城県 60歳 男性 仙台厚生病院 MH
医師になって1年目に受け持った、同年齢の血液疾患の患者さん。残念ながら骨髄移植前に急変し他界された。

大阪府 48歳 男性 
ベーリング海上で操業中にくも膜下出血で搬入された、外国人患者.

北海道 48歳 男性 T.N
慢性心不全の患者が一緒に悪くならないように数年間、外来でも入院でも頑張ってきたが、いよいよ最期の時を迎え、涙を流しながら先生に診てもらえて幸せだったと言い亡くなられた方。一緒に同じ方向を向いて頑張った過程が貴重でした。当たり前のようで難しいことです。

北海道 40歳 男性 砂川市立病院 松谷 健一
研修医の時に小児科で受け持った余命1年以内の先天性心疾患の男の子。ローテーションで他の研修医に引き継いだ後に亡くなった。思い出すたびに当時の自分の診療内容や言葉がけなどが果たして正しかったのかどうか, 自問している。自らの診療を深く考えるきっかけを与えてくれた症例。

北海道 42歳 札幌心臓血管クリニック Y.T.
患者さんは女性で17歳の時私が弁膜症の手術をして、その後2回の大きな心臓の手術して(その間に結婚して)42歳になった今も元気に私の外来にかかってくれていること。

北海道 67歳 男性 H.H
末期の患者さんに緩和ケア病棟への転棟を打診したとき、ただ一言“先生が主治医でよかった”と言われた。 たかが一医者をそこまで信じて頑張ってきてくれていたと分かった

北海道 46歳 男性 T・F
大動脈瘤合併の白内障手術の方。 主治医からは手術は禁忌といわれていたが、 見えないなら生きていても仕方がない 見えない苦しみを命を超えてでも直したいと 懇願された人 みえることは本当に人が人であることに必要だな

兵庫県 57歳 男性 
たくさんいます。 最近だと、暴力団の抗争で弾丸5発撃ち込まれて、救急→血管外科+消化器外科+整形外科の協力で救命できたケースなんかは、日本では少ない事例なので印象深いです。このような症例でも、暴力団員だからといって、やり甲斐がない訳ではなく、きっちりと仕事をするのがプロと思いますし、手術中は雑念は消えます。そういう意味でも印象に残っています。

兵庫県 54歳 男性 HK
さすがに、親かな。。

兵庫県 46歳 男性 関西労災病院 T.M
コロナ感染症により、担当の患者さんがお亡くなりになりました 心臓も弱く、余病も多かったのですが、それなりに生活できていました コロナ感染症発症後は、なすすべなく、自身の無力さを改めて感じました

福島県 53歳 男性 K
心肺停止で来院したくも膜下出血患者が後遺症なく退院した時。現在は職場復帰も果たしている。

福岡県 山下真吾
1978年、京大研修医のとき担当した3歳の小児精巣腫瘍の患者さん。あと1年遅ければ、シスプラチンが日本に入って来ていて助かっていたと思います。

福岡県 69歳 男性 TT
若年の劇症肝炎で致死率が非常に高いと考えられたが、救命できた方。指導医とともに病院に泊まり込み、その期間はアルバイトも行けなかったため収入が激減したが、親とともに歩いて退院する姿をみたときは泣きそうになった。

福岡県 39歳 男性 S・M
交通外傷で運ばれた多臓器損傷の患者さんを複数回の手術を行いながらICUで泊まり込みで診療を行い、無事に急性期を乗り越え、話してご飯を食べられるようになった時の感動は忘れられません。日常を過ごすことの大切さをその時に実感しました。

福岡県 38歳 男性 
仙骨軟骨腫の腫瘍摘出と脊柱再建術を34時間かけて施行し、杖歩行であるが、自宅退院していただいた患者さん。 自分自身にこの手術経験がなく、当時もっとも手術経験豊富な整形外科医を紹介する提案したが、初対面のその患者さんが「先生がその手術してくれ」と真剣な眼差しで懇願されたこと。人との出会いを痛感した。

奈良県 69歳 男性 高井病院 
同い年で先に亡くなってしまったクラーン病の患者さん。

奈良県 三十九歳 男性 
90代で矍鑠としていて多趣味(コンピューターに自分で撮った写真を取り込みアルバム作成したり、銭湯に2時間ほど滞在)認知症を思わせるところが全くなかった患者さん

奈良県 71歳 男性 社会医療法人高清会高井病院 T.T
自身の母親の腰の手術を執刀して、完璧に歩けるようになったこと

東京都 男性 
乳がん、転移性脳腫瘍で担当していた患者の希望により、治療よりもその患者の希望の生活を優先し、治療に先立って旅行いくことになった。その結果、本来1年程度の余命であったが、3ヶ月で亡くなってしまった。治療を優先するべきであったかと後悔したが、死後患者の家族から、限られた人生を希望どおりに過ごせて幸せであったと、感謝された。その時、医療は、命を伸ばすことだけではないことを実感した。

東京都 36歳 男性 Y.S
研修医時代、「先生、私は本当に治りますか?」と 亡くなる前日に聞かれた患者

東京都 48歳 男性 
下肢救済を目的に様々な治療を行ったが成果が得られず下腿切断をすることになったが、手術前日に“足”があるうちに先生と一緒に写真を撮りたいと言ってくれた患者さんですかね。

東京都 51歳 男性 下北沢病院 長崎和仁
基本的には自分が主治医となり執刀した患者さんはみなさん(とは言っても思い返すことが少ない方もたくさんいますが).その中でも病気と闘いきれなかった,あるいは救えなかった患者さんには申し訳ないという悔いが消えません.

東京都 37歳 男性 某国立病院 どどん波
いろんな病院でもう手の施しようがないと言われた直腸癌の骨盤内浸潤の患者さんで、当院転院時は低栄養ですぐには手術もできない状況でしたが、放射線を照射して少し栄養状態が改善したことで、手術が可能となった患者さん。 実際の手術に際しても、出血がかさみ、一つ判断が遅れていたら術中に死亡してたかもしれないという状況であった。 その後お元気にもう術後8年間無再発でほぼ治癒したと思われる患者さんです。

東京都 58歳 男性 がん研有明病院 福長洋介
通常の癌のタイプではなかったのですが、術後早期の切除不能再発が、患者の希望で化学療法しないで経過みていたところ、腫瘍は縮小し元気に長生きしている人は1番印象に残ってます。

東京都 35歳 男性 
10年ほどずっと外来で晩年を見てきた患者さんが、他の科で入院していたのに、いまわの時に「○○先生によろしく」と僕の名前を言い残して亡くなったと聞いたとき。

東京都 44歳 男性 M・U
非常に厳しい癌の患者さんで全身状態も良く無く、強い治療希望を持った患者さんがおられました。術後不幸にも重篤な合併症が起こってしまいました。1か月病院に詰めっきりで治療を行い、最後は急変して亡くなりました。自分の力不足を痛感しましたが、患者さんのご家族が本当に感謝して下さって、病院にも後日お礼に来て下さいました。今後の治療に必ずその経過を生かすと誓った経験でした。

東京都 40歳 男性 S.H.
亡くなられたのですが、最後まで非常に穏やかで、家族も笑顔でお見送りされました。診断、手術、末期まで携わらせていただき、私自身も感謝です。

東京都 52歳 男性 uroさん
30年ほど前に消化器外科研修の際に癌で亡くなった患者さんに何もできなかったこと。
告知も禁じられていた時代でしたので、『あの時に告知していたら最後の人生をもう少し違った形で終えることができたのかも』と今でも思い出します。

東京都 53歳 男性 日本医科大学付属病院 石井 庸介
医者になって、最初の担当医となった患者様(拡大乳腺摘出術を施行した患者様)。
採血もできず、点滴のオーダーもまだ 自分で出せない無力な医者の時代に、「毎日、何回も診察に来てくれてありがとう」と声をかけてくれました。今もその原点を忘れずに診療を心がけています。

長野県 60歳 男性 
色々あるが、手を尽くしても助けられなかった患者さんたちは印象に残っている。

長野県 40歳 男性 
お盆の当直時に交通事故で搬送されて4回の手術を経て、一度はあきらめた患者さんが歩いて帰ったこと

長崎県 54歳 男性 たけひろ
何度も癌の再発があったが諦めないで毎年のように10年間手術を受け続けて頑張ったひと。

大分県 61歳 男性 大分赤十字病院 K.F
乳がんの脳転移で歩けなくなり、脳腫瘍摘出手術で元気歩けるようになった若い患者さん。1年後には全身に転移して、乳腺外科で緩和ケアを受けていました。本人に「わたしもっと生きたい」と泣いて言われたときは、自分の無力をつくづく感じました。

大阪府 57歳 男性 大阪赤十字病院 脳神経外科 橋本憲司
85歳で膵頭十二指腸切除と胃全摘を同時に手術して術中に大量出血して24時間の手術をした患者が無事退院したこと

大阪府 53歳 男性 JCHO大阪病院 O.M
1年以上入院していた方で、入院中に生き別れになっていた家族が本人が入院していることを聞いて再会を果たした方がいます。

大阪府 46歳 男性 Tom
結核性股関節炎になった80代女性 受診時には骨頭は溶け、骨盤内膿瘍も 数回にわたる手術を乗り越え初診から1年後に人工関節置換した。 リハビリを終えて初診から1.5年初めて立って歩くところを見せてくれた。 経過を通じて弱音を一言も吐かず、不満も聞くことはなかった。常に淡々と受け入れ静かに闘っておられた。 今も元気でフォロー中 もちろん認知症はありません。

大阪府 63歳 男性 ヤット・こんちゃん
良くなった方は本当に嬉しいですが、その思いだけで満足してしまいます。
逆に、救えなかった方のことを、いつまでも覚えています。

千葉県 43歳 男性 成田富里徳洲会病院 M.M
コロナ感染と急性心筋梗塞の合併ということで、30以上の病院で断られ、ECMO、IABP、PCPSを駆使し、死亡率90%から奇跡的に回復した50歳代の女性。

東京都 64歳 男性 
研修医の時受け持った高齢の膵頭十二指腸切除後後の患者さん。術後合併症大変でしたが無事退院し、科が変わっても挨拶に来てくれました。

千葉県 57歳 男性 NK
大腸癌術後のある患者さんは便の状態を伝えるために、毎日の便をスマホで写真に残し、フォロー外来のたびに全ての写真を見せてくるのだが、料理の写真撮影もごちゃまぜでフォルダーに入れているため、毎回便と料理の写真を交互に見せられる。最近は肛門周囲の荒れも気になるようで、そこに時々肛門の写真も混ざるようになった。

千葉県 42歳 男性 H・H
人工股関節置換術をした80歳代後半の患者さんに患者さん本人が書いた日本画のポストカードをもらったことがあります。高齢だからと家族には手術を反対されていましたが、手術のおかげで今でも元気に絵がかけていますと感謝されました。

千葉県 48歳 男性 聖隷佐倉市民病院 S.K.
ある有名な能楽師の方の食道がん手術を担当させて頂いた時の記憶です。患者さんは術後の合併症による嗄声が残っている状態で、国立能楽堂の舞台に復帰されていました。この時、能面、能装束を身に付けない「袴能」というものを初めて拝見させて頂きました。これは楽なようで、実はかなり難しいもののようです。病気を克服して舞台に立つ。さらに体の線も、何もかもが顕になる「袴能」、迫真の演技は今でも心に残っています。

千葉県 58歳 男性 日本医科大学千葉北総病院 渡邉 昌則
「自分が中心となって心不全ターミナル患者を点滴しながら家に搬送し、家でご家族がみとったこと」 上記患者。最後は、妻(急変して亡くなられた)と暮らした部屋で最後を迎えたいという希望があったため。

静岡県 45歳 男性 静岡県立総合病院 瀬戸崎修司
優等生的な答えではなく、治療がうまくいかなかった患者さんたちは全員強く印象に残っています。 強いてあげるなら2人。 1人は20代の末期胃がん患者さん。芸大生で、作品集をいただきました。今でも大切にしています。 もう1人は非切除膵癌の俳優さん。一時退院の後のTVで医師役をしていたため、「参考になりましたか?」と聞いたら、「先生たちの真似をしたら監督からOKが出ません。」と言われました。

静岡県 58歳 男性 
大変な治療を受けて、見事回復し、普通のサラリーマンから看護師に転身した患者さん

静岡県 46歳 男性 すずかけセントラル病院 森本祥隆
93歳で人工膝関節手術をし、97歳の現在も元気に来院してくれている方 (入院中も人生訓をとき、多くの患者さんを力づけていた)

静岡県 71歳 女性 K.K
数か月後、当直中に点滴ルート確保で病棟に呼ばれ、がん終末期となったその患者さんに再会した。点滴が一発で入り、『上手になったね』と言われ、そのあと『なあ、先生、苦しいから殺してくれないか』と笑顔で言われ何も言葉がでてこなかった。数日後その患者さんはお亡くなりになった。今ならなんと言えるのか、と時々考えることがある。 その時の患者さんが今の自分の原点。

神奈川県 41歳 男性 
自分の娘

神奈川県 55歳 男性 
バスに轢かれて、内臓、関節がえぐられた5歳の女の子。自分は何も出来ない救命救急の研修医の立場での主治医で、慰安ぐらいしか出来ませんでした。オーベンの先生方の度重なる手術をして、約半年後、奇跡の退院を迎えることが出来ました。その退院の日、なんと患者さんのご両親の希望で、わたしが抱っこして、退院の車に乗せてあげたことです。

神奈川県 52歳 男性 りょうちゃん
交通事故で下肢切断となった15才の女性

神奈川県 63歳 男性 池上整形外科 池上亮介
親御さんの転勤で海外に10年間ぐらい住んでいるのに、夏休みに必ず外来を受診してくれ患者さん。

神奈川県 61歳 男性 N・C
自分が医師三年目の時の出来事です。 自分の受け持ったお婆さんが、周囲の人に配るために病室で貝殻の小物を作っていました。ある日、自分が当直翌日に疲労困憊で働いていると『これ、先生に差し上げます。ご苦労様ね』と言われ、心が救われた気がしました。 その貝殻の小物は、今でも大切に保管してあります。

神奈川県 50歳 男性 T
遥々ブラジルからいらして白内障手術を受けて帰られた方。
治療や手術で苦労した方々。

山形県 65歳 男性 Dr.Y
自分の研修医時代に、小児がんの4歳の患者さんを診ていたが、毎日のようにある採血もきちんと受け頑張っていた。お母さんも毎日付き添い、精一杯頑張っていた。そこには結果がどうであったとしても何かかけがえのない努力の結晶が残るだろうと思う。 自分が健康であることは今たまたまの状況であって、その状況を活かした精いっぱいの努力をしないとあらゆる境遇の人に申し訳ない、と自分に言い聞かせる良い機会になった。

埼玉県 45歳 男性 M.O.
患者から治療の件でクレームがきましたが、意図する想いや方針について説明したところ患者から謝罪をうけたこと。クレーマー的患者には意図する想いや方針は伝わらないことが一般的ですが、伝わったことで安心しました。

埼玉県 45歳 男性 医療法人熊谷総合病院 Y・N
外来の待合室で待っている間に英語の辞書を引きながら英字新聞を読んでいたラーメン屋さん。

埼玉県 49歳 男性 地方独立行政法人埼玉県立循環器・呼吸器病センター 宮本 敬史
生活保護の患者さんで3つの大学病院で喧嘩別れ、2つの総合病院でブラックリストに載り受診する病院も無くなった50代男性。私の外来に来て、心機能20%の虚血性心疾患に対して心拍動下冠動脈バイパス術5枝を行い8日で退院し、腹部大動脈瘤も拡大したので開腹人工血管置換術を行い6日で退院した後に、外来で人目を憚らず泣きながら『俺は初めて本物の医師にあった。ありがとう、ありがとう』と感謝された患者さん。

埼玉県 40歳 男性 Y.Y.
やはり大きな合併症が出てしまった患者さんは忘れがたいですし、忘れてはいけないと思います。

埼玉県 48歳 男性 DK
70歳代の男性で、両股関節、両膝関節の人工関節置換術を行った方が、4000メートル級のヒマラヤ登山に行ってきました、念願叶いましたと報告を受けた時には本当にびっくりしました。

東京都 49歳 男性 さいたま赤十字病院 泉亮良
骨折の治療後に肺炎、心不全となって入院中に亡くなってしまった患者さんの家族から一生懸命治療してくれたので先生が主治医でよかったと言っていただけたこと。

埼玉県 42歳 男性 Y.H.
糖尿病で多くの合併症で亡くなった、頑張って病気と戦った私の父。少しは役に立てたかなぁ

長崎県 52歳 男性 
40歳代で長年の血液透析、心臓手術、両下肢切断、肺手術その他の既往がありながら、次の心臓手術を受けるために初対面の医師に笑顔で挨拶してくれた患者さん。

高知県 63歳 男性 ごんちゃん
関節リウマチで重症の方でした。MTXもバイオもない時期の患者さんでしたので疾患活動性が抑えられませんでした。私が診て直接知っている5年間に、常に前向きでは方ではありましたが、手術を何回も受け、インプラントの感染症に悩まされ、心臓の弁を痛め、結局脳出血で亡くなられました。

香川県 58歳 男性 香川労災病院リハビリテーション科 太田裕介
小生が医師になって2年目、小児男児の脳腫瘍の治療を担当する機会があった。心配と不安で一杯の母親をよそに、多くの不自由を抱えながらも無邪気な子供は不思議なほど元気だった。今、彼がどうしているのか、当時の記憶が薄れる中、色々と思いを馳せてしまう。

広島県 男性 K・M
小学生の娘を持った30代後半女性の切除不能進行胃癌の症例。
徐々に病状進行して最期を迎えられたのですが、娘さんに将来見るようのビデオレターを作成しておられました。 最期は自宅で旦那さん、娘さんに見守られながら迎えられたそうです。

広島県 49歳 男性 
どんなにしんどい手術・治療をしても、ひょうひょうとして、一日一日を楽しく送っておられたご老人。一人暮らしであったが、最期まで身の回りのことを全て行い、自宅で静かに息をひきとられていた。

広島県 50歳 男性 
小学生の女児の骨肉腫の患者さんが高齢者になっても今だ元気でいること。

岡山県 87歳 男性 7934
残念ながら手術がうまくいかずその患者さんを危機に遭わせてしまったのですが、最終的には後遺症なく自宅退院することができ、またその患者さんが退院時に「先生に治療してもらって良かった」と言っていただけたことです。

茨城県 50歳 男性 高度専門クリニック O
小児の心臓手術をし、沢山痛い思いをさせたのに、看護師が「誰先生が一番好き?」と子供に聞いているのを耳に挟み。私の名前を言ってくれた5歳の男の子。

茨城県 64歳 男性 誠潤会水戸病院 土田博光
腹部大動脈瘤破裂の患者、畑で倒れているところを、飼い犬の声で発見されて搬送され、手術中のHt 10%という状況であったにもかかわらず、大きな後遺症もなく順調に退院でき、長寿を得た人 いろいろ奇跡のようなことが、重なったことが印象深い

茨城県 63歳 男性 土浦協同病院 M
東日本大震災のときに救護班として発災2~3週間目ぐらいで行ったときに遭遇した数々の患者さんたち 小学生・幼稚園生の子どもたちを残して亡くなっていった30代前半の脳出血の母親 重症頭部外傷で意識を一時期戻しかけたけど、やっぱり亡くなった小学生の女の子

愛知県 40歳 男性 S・M
90分間心肺蘇生を行った末に経皮的人工心肺装置(VA-ECMO)を装着の後にカテーテル治療を行い、無事生還して仕事にも復帰された患者さんです。

愛知県 55歳 男性 豊川市民病院 TS

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