毎日ムック 病院最前線2022の専門医アンケート「医者の体験談」より
役に立つ情報や伝えたいことのうち「医師になって一番感動した出来事」について、ご回答いただいた一部をご紹介いたします。
※ご回答いただいた原文のまま掲載しております。



「医者の知恵袋」   「医者のホンネ」   ▶「医者の体験談」 


プロ野球選手の治療に携われて、その選手が活躍している事。
患者さんが治ったと言ってくれる事。

兵庫県 45歳 男性 大井クリニック T.O.
かなり以前に治療した若年の重症患者が、その後完全に社会復帰し、結婚し幸せな家庭を築いていることを本人より直接報告された事。

兵庫県 48歳 男性 大西脳神経外科病院 SY
一人一人の患者さんが元気に退院されることが一番の感動です

福岡県 62歳 男性 北九州市立医療センター 西原一善
自分が手術した患者さんに感謝されたときは、いつでも一番感動します

福岡県 40歳 男性 SH
治療した選手や患者さんが、完全復帰したとき見せる笑顔

熊本県 49歳 男性 Y O
夏休み旅行で北海道に訪れていた本州在住の中学生が交通事故、重症頭部外傷で搬入され緊急手術、術後肺炎などを合併し非常に厳しい状態になったが、幸い後遺症なく退院し復学できたこと.

北海道 48歳 男性 T.N
心肺停止にまで至った急性心筋梗塞の患者が、笑顔で歩いて退院していったこと。

北海道 40歳 男性 砂川市立病院 松谷 健一
駆け出しの頃に時間がかかって非常に苦労した仕事(カテーテル手技や外来診療)が、経験を重ねて実力がついたことによって、苦もなくこなせるようになった事。苦労しただけに、感慨深い。

北海道 42歳 札幌心臓血管クリニック Y.T.
前勤務先で、助けられない、おそらく命を失うと覚悟して治療した患者さんが数年後に病院外で元気な姿で会ったこと

北海道 46歳 男性 T・F
自分の患者さんがスポーツに復帰している姿をみたとき

北海道 48歳 男性 札幌スポーツクリニック H.O.
見えるようになった患者さんの認知症が治ったこと

兵庫県 49歳 男性 N
内科的治療では死にそうな患者を外科医が手術で簡単に治してしまったとき。

兵庫県 63歳 男性 やまさん
手術を執刀させていただいた患者さんが、病院を異動した後も遠距離ながら他府県から外来に通院していただけること

兵庫県 46歳 男性 兵庫県立淡路医療センター 心臓血管外科 高橋宏明
救急車内で心肺停止になった急性心筋梗塞症例に緊急対応し、自立歩行で退院に持ち込めたこと。

兵庫県 49歳 男性 晋真会ベリタス病院 幕末大好きドクター
やはりギリギリのところで救命できた緊急手術は印象に残っています。 しかし、それ以上に辛いことが多いのも事実ですね。

兵庫県 54歳 男性 HK
自分の治療した選手が試合などで活躍する

兵庫県 49歳 男性 Berinice
ひび感動しています ・あきらめかけた患者さんの生還 ・患者さん、ご家族からの感謝のおことば ・若手医師の成長

福島県 53歳 男性 K
手術を行った当時小学生、中学生の患者さんが 毎年 年賀状をいただき、高次機能障害もなく進学や就職ができたと近況報告をいただくとき

福岡県 47歳 男性 新小文字病院 H.K
関節痛や脚変形のため、数年間歩くのみならず立ち座りもできなかった患者さんが、自分の手術で少しずつですが可能となり、1年後にはほぼ問題なく生活ができたこと:まだ手術をして間もない時でしたので、インパクトが強かったです。

福岡県 47歳 男性 HM
やる気のある、非常に優秀な若い先生に、 消化器内科を目指した理由を聞いたところ、 「実は、、、」と学生時代に私の外来見学をしたことがきっかけのひとつであったと、10年越しに打ち明けてくれたこと。

福岡県 39歳 男性 S・M
患者さんとのエピソードは大なり小ない毎日あり、小さなことでも感動が得られます。それぞれに優劣をつけることは本当にできないです。個人的に感動したことは自分に手術を教えてくれた、師匠と言える先生の子供さんが後輩として自科に入局し、その師匠の子供さんに今度は自分が手術を教えていることがemotionalな出来事です。

福岡県 38歳 男性 
脳腫瘍からの出血で呼吸停止した少年が、自分の手術によって、学校に通えるまで回復したとき

東京都 36歳 男性 Y.S
見えなくて介護されていた人が見えるようになり 今までは想像でしかなかった孫の顔を初めて見て、 息子の幼少時代に似ていて、これまでの記憶が鮮明にフラッシュバックし 認知症と思われていた人が、見えることで認知能力が上がり 介護がいらなくなったこと

東京都 40歳 男性 K HY
心肺停止で来院した患者の治療を成功し無事に歩いて退院されたことです。

東京都 39歳 男性 板橋区 O・S
骨盤骨折の重傷外傷の20代患者が結婚・出産してことが偶然10年後に入ったお店で働いて感謝されたこと

東京都 42歳 男性 国立がん研究センター中央病院 森谷弘乃介
人工股関節手術で痛みなく歩行可能になったら、「人生変わりました!」と、外見まで別人のように若返って生き生きとされている患者さんがいらっしゃり、自分の手術がお役に立てたことです。

東京都 48歳 女性 A.S.
車椅子の人が歩けるようになったこと。

東京都 52歳 男性 K
膝や股関節が痛くて歩きにくい患者さんが痛みなく歩けるようになられること、怪我されたスポーツ選手がまたそのスポーツをできるようになること、患者さんの笑顔の中に日々、感動があります。

東京都 49歳 男性 YM
10年ほどずっと外来で晩年を見てきた患者さんが、他の科で入院していたのに、いまわの時に「○○先生によろしく」と僕の名前を言い残して亡くなったと聞いたとき。

東京都 44歳 男性 M・U
前立腺癌で小線源治療を行った患者さんが、治療後にできた娘さんを外来に連れてきてくれた時感動しました。(現在幼稚園の年長さん)

東京都 44歳 男性 東京医療センター 矢木康人
日々、難しい手術を無事に終えることができほっとし、その後の結果も良いと さらにほっとする。日々、地道に感動あり。

東京都 65歳 男性 東京国際大堀病院 M.O.
研修医時代に集中治療室で患者さんに何げない一言ですが声をかけたことをとても感謝され、治療技術もまだまだ未熟な私でしたが退院後わざわざ会いに来ていただいたこと。

東京都 52歳 男性 uroさん
生後8時間で手術した子が元気になって歩いて外来に来た時

大分県 45歳 男性 大分県立病院 下高一徳
脳外科に入局して、初めて教授の手術助手をして、手術顕微鏡を覗いたときに、脳の美しさと芸術的な手術に感動しました。

大阪府 57歳 男性 大阪赤十字病院 脳神経外科 橋本憲司
手術する前は昏睡状態だった患者さんが、術後に目をあけて話してくれた時。

大阪府 35歳 男性 
脳出血で何ヶ月も植物状態であった若い女性の患者さんが回復したこと。

大阪府 54歳 男性 大阪大学医学部附属病院脳神経外科 MS
患者の家族(孫)が私の働きをみて医師を志したと手紙をもらった時。

大阪府 男性 Y・U
数年前脊椎骨折で対麻痺になり夜間緊急手術した患者。
車いすでリハビリ病院に転院する前に「歩いて診察室に入ってくるのを待ってるよ」と伝えたら3か月後にほんとに歩いて帰ってきた。

大阪府 63歳 男性 ヤット・こんちゃん
初診から手術や抗がん剤治療、緩和治療まで長いお付き合いであった患者さんが亡くなられた後に奥さまから感謝の手紙を頂き、結果が残念であったにもかかわらず自分のやってきたことを評価して頂いたことに感動した

大阪府 58歳 男性 大阪日赤 KM
30年間のカテーテル治療の経験の中で、アメリカに居た時、4児の母(37歳)を心肺停止の状況から救命できたこと。

東京都 64歳 男性 
自分が手術した難病患者の妻が同じ病気になり,まだ大した症状がない状態であるにもかかわらず早めに私に手術をしてほしいと言ってきたこと.病気の経過と手術の意義を理解してもらえていたことに感動しました.

千葉県 47歳 男性 亀田総合病院 S・K
医師になりたての時に診ていた患者さんの子供(当時小学生)が、入院中の親御さん面会の際に、主治医であった私の姿をみて医師になりたいと思ったらしく、その後見事に医師になり、その旨を記載した手紙をくれたこと。(私は完全に忘れていたので大変驚きました…)

東京都 44歳  N
少し話がずれますが、長男が同じ大学であったため講義をする機会を得たことです。3年生の外科学の講義の時のことです。講義室に入ってすぐに息子の姿を見つけました。講義を始めてみると、 それまで息子と過ごした日々を思い出してしまい、次第に自分が興奮していくのが分かりました。最後は目頭が熱くなり、息子のいる方向を向けずに講義を終了しました。親バカな話ですが、 偶然がもたらした感動的な出来事だったと思います。

千葉県 58歳 男性 日本医科大学千葉北総病院 渡邉 昌則
重症膵炎を煩って転院してきた患者さんで、4回以上の手術をおこなった結果 退院まで1年間かかったが、元気に社会復帰された。しかも入院時の経験を生かして 介護職の仕事について今も元気にされていること

静岡県 60歳 男性 ICH H
人工関節を入れた患者さんが94歳で亡くなるまで歩けたと娘さんに喜んでもらえたこと

静岡県 71歳 女性 K.K
助けられないと思っていた患者さんが何の神のお導きか、助力かで歩いて帰って行った時。心肺停止、重症ショック、人工臓器だらけの人が鎮静を切ったときに目を開けて話したとき。生き返った人が彼岸を見てきたと話をしたとき。意識がもう無いと思っていた患者さんに「あなたは十分立派に生きてきたんだから、もう頑張らなくていいんですよ」と枕元で言ったら、口元が緩んで笑ってくれたように思ったとき

神奈川県 62歳 男性 横浜市立市民病院 根岸耕二
研修医1年目のころある男性患者のベッドサイドでよくお話を聞いていた。 メディア関係者名乗る息子が、点滴の跡の腫れに気づき点滴や処置すべてを上級医がやるよう強く申し入れてきた際に、普段温厚でベッドに横になることが多かった患者がいきなり立ち上がり『俺の話をいつも聞いてくれるんだ、お前に何がわかる』とブチ切れて『息子が失礼しました、これからも頼みます』と言われたこと。息子は呆然。傾聴の大切さを知った。

神奈川県 41歳 男性 
若い20歳代後半の女性の患者さんで股関節が痛く歩行ができなくなった方に股関節の骨切り術を行い痛みが取れて歩けるようになって、その後ご結婚され子供さんの名前に私の名前を組み込んでいただきました。

神奈川県 66歳 男性 新百合ヶ丘総合病院 澤口 毅
前の勤務地や病院から異動を連絡していない患者さんが、頼って新しい勤務地を訪ねて来ていただけること。

神奈川県 61歳 男性 N・C
自身の手術患者が日本代表等で活躍した

神奈川県 46歳 男性 T
私が執刀した腎癌患者さん。 8時間もの大手術を受けた翌日、歩行可能である事を伝えると、「コーヒーが好きだから、買いに行ってもいいですか?」と聞かれた。私は「買いに行ってもいいけど、まだ飲んじゃだめですよ。」と答えた。その後コーヒーを買って帰ってきた患者さんから、「昨日はお疲れ様でした。」とそのコーヒーをプレゼントされた。

神奈川県 50歳 男性 S・S
働き方改革の一環で、当直明けに帰宅出来る様になったこと。
正に改革であり、そんな時代がやってくるなんて、医師なりたての頃には夢にも思わなかった。

神奈川県 50歳 男性 T
大学時代の同級生が稀少癌を患い、私の所に相談に来ました。稀少癌ゆえ治療経験は乏しく、ハイボリュームセンターへの紹介を検討していた時に、「ここで手術をやってくれないか」と言われました。正直、不安でいっぱいで手術前日はなかなか眠れず、手術当日もかなり緊張した状態で執刀しました。無事手術が終わり、麻酔から醒めた友人に「無事終わったよ」と伝え、がっちり握手した時に込み上げるものがありました。

滋賀県 53歳 男性 我が道をいくDr
多発転移を来した20代の進行精巣癌患者さんに手術、抗がん剤治療が奏功し、救命できたこと、治療後に結婚され、治療前に保存していた精子による人工授精でお子さんを授かり、診察室に家族でいらっしゃった際にはとても感動し涙を流しました。

山梨県 44歳 男性 
自分の親戚を手術した。

山形県 43歳 男性 三友堂病院 工藤陽平
20数年前の外傷で不安定膝・重度外反膝でケガ以来シルバーカーを使用していた患者様が人工膝関節置換術を行うことで麻酔から覚醒したときに下肢がまっすぐになっていのをみて感動して大泣きし始めたこと、その方が独歩できるようになって大泣きされたこと

三重県 44歳 男性 おっちゃん
くも膜下出血の患者さんの家族より命を救ってくれてありがとうございましたと手紙をもらった時

埼玉県 53歳 男性 さいたま市民医療センター J. T
感動とは少し違うが、何年たっても学ぶことが少なからず起こるので、それについては貴重な職業につけたと感じている。 他科の医師の話で、治療を受け入れる患者さんに「この治療を受けてくれてありがとう」と患者さんに感謝を言っていた、という話を聞いて心に刺さった。自分も誰かに心を打つ何かをできるような医師になりたいと思った。

埼玉県 45歳 男性 M.O.
自分が病院を異動になるときに、自分のためにホテルの大きな会場を借りて多くの方が集まってくださり、胴上げをして次の病院へ送り出してくださったこと

埼玉県 40歳 男性 Y.Y.
中学生で骨盤骨切術を施行した患者さんが、看護師を目指してくれ、結婚・出産を経ながら、20年目の現在ではお局感を出しつつ働いている話を聞くと心が癒やされます。

埼玉県 48歳 男性 DK
以前勤めていた小規模病院で自分なりに少しずつ頑張りながらも、いざ人工関節手術となると近隣の有名病院に紹介状を書かされることが多く、悔しい思いをしていたのですが、ある日私の手術を希望しているのでお願いします、とその有名病院からの患者さんの紹介があった時です。そこから風向きが変わったように患者さんが増えていきました。

東京都 49歳 男性 さいたま赤十字病院 泉亮良
脊椎の手術で手術前に下肢のほぼ完全麻痺患者さんが術後リハビリテーションを頑張って両手杖で歩けるようになったこと。

埼玉県 42歳 男性 Y.H.
亡くなられた患者さんが、意識が無くなる直前まで、小生のことを信頼している、と言っていたことを、亡くなられた患者さんの家族から後に伝え聞いたとき。

広島県 男性 K・M
海外のこども病院での手術終了後、患児のお父さんから、両手を握られて本当にありがとう、ありがとうと言われたこと。

広島県 54歳 男性 
子供たちが医者になりたいと言ったこと。

広島県 49歳 男性 
諦めかけていた患者さんが元気になること

広島県 50歳 男性 にゃんにゃん
生きること、死ぬことを深く考えられるようになった。

京都府 61歳 男性 K.K.
亡くなる直前の患者さんに、先生のおかげで長生きし過ぎました、ありがとう、と言われたこと

京都府 48歳 男性 YT
子供たち(患者さん)が、医師を目指すきっかけになったと言ってくれたこと。

京都府 47歳 男性 
まだ血管内治療を始めて間もないころ週1回の外勤先でそこの臨床検査技師長が脳梗塞になりました。その病院では血管内治療をできる医師はおらず、ただ外来だけやりに行ったつもりの私が、その病院で初めての脳血管内治療を行い無事手術が成功しました。いわゆる、医者冥利につきる、といったところでしょうか。

宮城県 59歳 男性 ベガルタイーグルス
列車に接触してショック状態で搬送された若者が、回復退院後数年して、大学卒業したと挨拶に来てくれたこと。

宮城県 64歳 女性 J. M.
目の前で意識を消失した頭部外傷患者を手術で回復退院させたこと

岐阜県 74歳 男性 ひらたクリニック ヒラタトシフミ
手術後に癌が再発して亡くなられた患者さんのご家族が、後日改めて病院を訪ねてこられ、お礼と励ましの言葉をくださったこと.結果的に治ることができず悲しくおもわれているにもかかわらず、"これからも頑張っていいお医者さんになってください"、と言われたときには目頭が熱くなりました.

岡山県 47歳 男性 肝胆膵外科高度技能医
自分で手術した患者さんが何年も経って良くなって戻ってこられるのが一番うれしいですね。

茨城県 50歳 男性 高度専門クリニック O
受け持った劇症型心筋炎の患者の結婚披露宴に招待され、弾き語りで"家族になろうよ"を歌わせていただいたこと。

茨城県 52歳 男性 シンガードクター
まだ医学生の頃、大学病院で研修していて担当した難病の患者さんが病棟ごとに飾る七夕の願い事を書いておられました。ほとんど多くの方が自分の病気が治るように祈っている中、「素敵なお医者さんになれますように」と私のことを書いてくださったことは、未だに強烈に印象に残っています

愛知県 40歳 男性 S・M
今師事している師匠と仕事をしている時に、その師匠の見ている世界観が他の医師とは全く異質のものと感じた時。

愛知県 36歳 男性 
レジデントのころ受け持った重症患者さん(当時小児)に、愛・地球博でばったり出会ったこと.当時、自分は別の病院に勤務していてその子の診察は途絶えていたのだけど、その子がイベントに来場できるほど元気に成長してくれていたことに感動!我が子の成長を見るように嬉しかった.

愛知県 53歳 男性 あいち小児センター ORE
これまでに何人かの若い患者さんが、自分の治療がきっかけで医師をはじめとした医療に携わる仕事を選んでくれたこと

愛知県 58歳 男性 
医者になれとは一言も言ってないのに、二人の子供が自分の意思で医者になったこと。

愛知県 68歳 男性 医療法人純正会 名古屋西病院 大澤良充
まだ小さな子どものいる母親の転移性進行尿路上皮癌を手術、化学療法、放射線療法、免疫治療を駆使して、CRにすることができたことで、最初は予後が厳しいと話して落ち込んでいた家族に笑顔が戻ったこと

愛知県 47歳 男性 A.N.

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